「あ、これから練習?」
「うん、ばっちりメニューをこなしてくるよ」
「怪我しないでね」
午後の授業が終わり、寮の自室に戻ったが談話室に降りてくると、誰彼ともなく声を掛けられる。
彼女は生粋の魔法族出身だったが、純血主義ではなく、いうなればウィーズリー家のようなおおらかな価値観の家系に育っていた。
当然、マルフォイ家からは距離を置かれているが、かつスリザリンの寮監の下に通い詰めるとなると、今朝のようなドラコの対応は当然のことと言えよう。
「あら、これから質問?」
「うん、スネイプ先生」
ふわふわの栗毛を揺らし、顔を上げたハーマイオニーにも声を掛けられたは、はにかみながら答えた。
「まったく、あのふたりに爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
彼女はキッと眉を吊り上げ、窓際でチェスに興じるハリーとロンに鋭い視線を向けて、愚痴を言う。
は何だかんだでいつも変わらず仲の良い3人に、表情が緩んだ。
「そんなことないって、魔法薬学だけだし。……それじゃあまた、夕食で」
「ええ、引きとめてごめんなさいね。小うるさいマルフォイに出くわさないといいわね」
呆れたように笑うハーマイオニーに、は苦笑いを浮かべて「ありがとう」と言い談話室を後にした。
廊下に出ると、さっきまでの和やかな空気が嘘のように、全身に緊張が走る。
まだ地下牢までの石造りの階段にすら着いていないのに、自分の気の小ささ加減に嫌気がさした。
大広間の前でマルフォイにはああ言ったけれども、確かに他寮の寮監である教師を慕っているのは珍しいことだと思う。
しかし、変身術でわからないことがあったときはマクゴナガル教授へ質問に行ったこともあるし、呪文学と薬草学は今のところ自習で事足りている。
恐らく、自分は平均的な他の生徒より、たまたま魔法薬学への探求心が強いだけなんだ、と言い聞かせスネイプの元へ急いだ。
この際、不純な気持ちは見ないことにしよう。
夕陽の差しこむこの廊下の角を曲がれば、地下牢への階段はすぐそこだ。
窓の外の美しい景色を見る余裕もないは、注意深く角から顔を覗かせる。
スリザリンの連中と鉢合わせになるのを避けるためだった。
注意深く聞き耳を立てると、男女が言い合っている声が段々と近づいてくるのがわかった。
彼女は慌てて顔を引っ込めると、窓と窓の間にある太い柱に身を隠し、彼らが過ぎ去るのをおとなしく待つことにした。
身動きせず、じっとしていると、近づいてくるその声の主が自分の知っている人物であることに気がついた。
「大体、グリフィンドールの生徒を本気で相手にすると思ってるのか?」
「は魔法薬学でいつもトップの成績よ。スネイプ先生だって当然それを踏まえた上で真剣に対応してるはずだわ」
「でも敵寮には変わりない」
「へえ、じゃあドラコがグリフィンドールの生徒をそこまで相手にする理由が知りたいわ。そもそもマグルや混血と仲良くする彼女が気に食わないならほっとけばいいじゃない」
「それは……」
「わたしは母親同士も幼馴染だし、何よりと仲良くしたいってわたし自身が思っているから一緒にいるの。ドラコのお家とは元々関わりないんだから、わざわざ喧嘩売る理由もないと思うんだけど」
「……」
「言っておくけど、このことに関しては容赦しないから」
パンジーとドラコである。
しかも、話題に上がっているのが自分だということで、焦りと驚きで心臓が鷲掴みされたように縮こまった。
自身の気持ちを優先しているばかりに、親友が友人と言い合いになっていることを知り、嫌悪に陥った。
パンジーは一度だってドラコとのことをに言ったことはない。
彼女が自分を大事に思ってくれてるからこそ、辛くなった。
ふたりの声が聞こえなくなり、は鮮やかな橙に満ちた廊下にぽつりと佇む。
頭の中はスネイプとの約束でいっぱいなはずなのに、なかなかそこから動けなかった。
自分の問題なのに目の前がぼんやりして、どうしていいかわからなくなってしまったようだ。
「パンジーの言うとおりだ……どうかしてる」
いなくなったと思っていたが、ドラコの声が曲がり角のすぐそこで聞こえ、は急いで姿勢を正し、セーターの裾でごしごしと目を擦った。
何事もなかったかのように、今ここに着きましたとういう風を装うとしたが、教科書と参考書の詰まった鞄は窓際に置いてあり、とても無理がある。
当然、ドラコもそれを見て気付かないほど鈍くはないので、彼女の出で立ちを見て顔を顰めた。
「おまえ、盗み聞きか」
軽蔑したような彼の視線に、は何も言えなくなった。
は成す術もなく唇を噛み締め俯く。
いつもだったら、相手に猶予を与えず正論を述べる彼女だが、そんな予期せぬ仕草に、ドラコは狼狽えた。
これではまるで、自分が彼女を一方的に虐げているようではないか。
別段、それでも問題はないはずなのだが、現状に焦る自分にドラコ自身も混乱していた。
「パンジーは悪くないから……不満があるならわたしに言って」
いつもの威圧的な態度と一変して、懇願するような物言いのに、ドラコの調子はますます狂った。
さらささのプラチナブロンドが、不安げに揺れる。
「……いいだろう」
「……」
「これ以上、先生に媚を売るな。僕にはあんな態度なくせに、先生の前ではへらへらして……気に食わない」
「媚なんて……」
「なんだ、不満を言えといったのは自分のくせに言い訳するのか。他に言うことはないのか!」
感情が昂ったドラコは、の両肩を掴んで力ずくで柱に押し付けた。
その拍子に、抱えていた羊皮紙の束がバサバサと床に落ち、一面に散らばった。
怒りの沸点を超えたドラコに、は身震いする。
背中の鈍い痛みでなんとか理性を働かせ、泣きじゃくるなんて真似だけはせずにいられた。
「どうなんだと言っているのが聞こえないのか」
少しだけ冷静さを取り戻したが、ドラコの胸板を押し返した。
「わたしは……実力をつけて先生に認めてもらいたい。その一心で勉強してきた。それを『媚を売る』というんだったら、貴方とは一生相容れない」
「……」
「理解してもらおうとは思わないけど……そのことでパンジーに当たるのはやめてほしい。ただ、それだけ……」
真っ直ぐに目を見て言うに、ドラコははっとした。
肩を掴んでいた手を離し、小さく「わかった」とだけ呟いた。
「……僕のすべきこともわかった」
「……?」
「感情的になって悪かったな」
「……」
噛み合わないドラコとのやり取りに閉口していると、すぐに彼は背中を向けて廊下から立ち去った。
取り残されたは合点がいかないまま、床に広がった羊皮紙に向かって杖を振る。
自分の言ったことに理解を示したことはなんとなくわかったが、彼の言う「僕のすべきこと」というのが引っ掛かっていた。
パンジーに嫌な思いをさせず、スネイプとのやり取りも邪魔されなくなることに越したことはないのだが、は素直に今の状態を受け入れられないでいた。
しかし、これからスネイプの自室に向かうので、そんなことには構っていられない。
は気を取り直して鞄を背負うと、急いで地下への階段を駆け降りた。