薄暗い地下にあるスネイプの自室に、ひとりの少女がいつものように質問にやってきた。
ノックの音を聞くと、昼食前の事を思い出した彼は一瞬、口元が緩んだが、すぐにいつもの無表情に戻り、ドアの向こうに一言「入れ」と告げた。
「失礼します」
部屋に入ってきたのいつもと異なる様子に、スネイプは眉間の皺を訝しげに深めた。
とりあえずは、いつも通り彼女をソファに促し、質問の内容を尋ねた。
疑問点を述べる彼女は一見するといつも通りだったが、表情だけはいつまでも曇っている。
そんな彼女の様子を伺いながらスネイプは淡々と質問に答えていった。
が、彼の言うことをメモした羊皮紙を間違いがないかもう一度目で追っていると、スネイプがひとつ咳ばらいをした。
そして、杖を持つと羊皮紙の上を軽く叩き始めた。
「ここは、繊維ではなく組織。ここは、内炎部から外炎部の順。それに、最も代表的な肉汁、こっちには雑菌の混入を防ぐために白金耳は必ず滅菌する、という記述が抜けている」
彼の達筆が赤文字で入り、内容量の割にその赤が目立つ羊皮紙となった。
は落ち込んだ様子で「すみません……」と呟くと、俯いてしまった。
集中できない自分が情けなくて落ち込んでいるのだ。
「夕食までまだ時間がある。疲れているようだから少し休んでいきなさい」
見かねたスネイプは宙に向かって杖をしなやかに振ると、ティーセットを用意した。
今日は茶菓子もあるようで、浅い食器にスコーンが数個と、ストロベリージャムの瓶が一緒に現れた。
「少し遅いが、ティーブレイクとしよう」
「えええ!?で、でも、いいんですか……?」
「、きみは甘いものが好かんか」
「いいえ!だいすきです!」
「それならよかった。わたしは好かんので、すきなだけ食べるといい」
「あ……えっと、ありがとうございます……?」
突然のことに驚いたは、どうしてお菓子まで用意してあるのかとか、本当に先生は食べないのかとか、たっぷりジャムを塗っても引かれないかとか、そもそもこれは先生が買ってきたのか、などと疑問が尽きなかったが、素直に紅茶を頂くことにした。
一方、いつものように自分に対して慌てる彼女に、スネイプは決して表情には出さなかったが穏やかな気持ちになっていた。
彼女の身に何か起こったのではないかと不審に思っていたのだ。
「……はあ、あったかい紅茶で気持ちも落ち着きます」
目尻を下げてにっこり笑うに、スネイプは「そうか」と返事をし、自分もカップに口をつけて一息ついた。
そして、静かにカップを受け皿に戻すと、再び口を開いた。
「して、先程のことばは何か落ち着きを失うようなことがあったというように聞こえたが」
「え!……あ、と、全然そんなことないです、元気です!」
誤魔化すように大きな声で言うをますます不審に思い、スネイプは真顔で上体を彼女の方に傾け、咄嗟のことに驚いて固まる彼女の前髪を掌でかき分けた。
引きつったを尚も真剣な表情で見つめ、目を細める。
本当に息もできていないのではないかというくらいに、は身動きが取れなかった。
きっと思考回路も停止しているのだろう。
「目元と鼻が赤い、強く擦ったのだろう」
「……っとあっつうう!?」
「おい、……!」
「あああ、ごめんなさい!あつっ」
スネイプが何か言ったことに反射的に驚き、その拍子にティーカップを離してしまい、まだほとんど飲んでいなかった中身が彼女の制服の上に一気に零れた。
彼がすぐに杖を振るとすぐに制服は乾いたが、腿に残る熱による特有の鈍い痛みまでは消えなかった。
「火傷用の軟膏を持ってくるからすぐに塗れるおうにしておけ」
「う、はい……」
項垂れたを後にし、スネイプは薬品庫に目当ての物を取りに行った。
がそっとスカートを捲くると、空気に触れた患部にぴりっとした痛みが走る。
唇を噛みしめて痛みに表情を歪ませているとスネイプが戻ってきた。
「ぼさっとするな、右足を出せ」
スネイプは左手で彼女の足を持つと、杖から冷水を出して患部を洗い、かつ冷やしていく。
今は床が水浸しになろうが構わない。
徐々に赤くなる患部だが、かかった液体が紅茶だったこともあり、皮膚の深くまでは炎症を起こしていないようだ。
「これが劇薬だったら大事に至っていたぞ」
「……」
先生がいきなり近くに来るからですという反論は飲み込み、小言も含め親切に治療をしてくれるスネイプに全てを委ねることにした。
「は制服を押さえていろ」
返事を聞かずにテキパキを軟膏を塗り広げ、足をソファに乗せると今度は適度な加減で包帯を巻いていた。
「あ、あの……先生?」
「なんだ」
包帯が緩んでいる箇所はないか確認しているスネイプに、恐る恐る声を掛ける。
「申し訳ないんですが、袖にもかかったみたいで、軟膏をいただけますでしょうか」
「馬鹿者!」
「ひっ」
「そういうことは早く言え!」
身をすくめて怒鳴り声に耐えていると、スネイプは彼女の袖を捲くり、手首にも先程と同じ事を繰り返した。
全部で10分もかからなかっただろうか、彼は治療を終えて胸を撫でおろした。
「他に火傷したところはないな」
「はい……お騒がせしてすみませんでした……」
再びソファに腰掛け一心地つくと、思い出したようにスネイプが話を振った。
「そろそろ広間に夕食が準備される頃だな」
「あ、もうそんな時間でしたか。あああ!せっかくスコーンを用意していただいたのに!」
わああ、と頭を抱えるを見て、そんな大袈裟なことか、と苦笑するスネイプだったが、ローブから杖を取りだすと、それらを紙袋に詰めて彼女に手渡した。
「夜食にでもしてくれるとありがたいんだが」
「ほんとうですか!」
「嘘をついた覚えはない」
「ありがとうございます!もったいなくて食べられないくらいうれしいです!」
「これくらいなんてことはない、また用意する。それにあまり無理はするな」
「あ、はい……」
嬉しそうに笑ったり、少し困ったように首を傾けて微笑んだり、時には慌ててとんでもないことをやらかすだったが、いつの間にかスネイプにとっては放っておけない存在となっていた。
彼にしてみれば、何かに悩んでいるような様子だけが気がかりだった。
「軟膏と包帯だ。すぐに赤みは引いて治るだろうが、念のため入浴後につけなおしなさい」
「はい、ありがとうございます」
は羊皮紙の束を本と一緒に無理やり鞄に詰め込み、菓子と薬を大事そうに抱えると、「失礼しました」と一礼をして城への階段を登っていった。
不可解なことと、小躍りしたくなるくらいうれしい出来事が一気に押し寄せ、は珍しく夕食には行かずに寮のベッドに倒れ込んだ。
とりあえず考えても埒が明かないことなので、ドラコとのやりとりのことは時間の流れにまかせることにし、ひと眠りすることにした。
まだ夕食の時間は始まって間もないので、起きてからでも間に合うだろう。