s*m=sheep;


May I ask you …? 4

不規則なコツコツという音で、は目を覚ました。
ベッドのカーテンを開くと、部屋はがらんとしており、ルームメイトはまだ夕食から戻っていないようだった。
音のする方を探して辺りを見回していると、夕日が差し込む窓の縁に1羽のふくろうが止まっていた。
先程からそのふくろうがガラスをつつく音がしていたのだ。
は小さくごめんねと呟くと、急いで窓を開けて彼を部屋に入れた。
脚に括られた手紙を解くと、すぐに羽ばたきの枕元に止まり、彼女が手紙に気を取られている間に何かを探っているようだった。


「あ、こら!それはわたしのなんだからだめだよ」


ふくろうの行動に気がついたは慌てて枕元の紙袋を取り上げた。
それは、スネイプからもらったスコーンが入った袋である。
カチカチと嘴を鳴らす彼をなだめるため、は引き出しからビスケットを取り出し、細かくしてそれを差し出した。
ふくろうは感謝するように軽快に鳴くと、彼女の掌のビスケットをたいらげ、すぐに開けっ放しの窓から飛び立っていった。
が手を叩いてから届いた手紙に目を通すと、それは誰かからの言伝だった。


『忠告する。あまり目立つ行動をとるな。身を守れ』


の頭に疑問符が浮かぶ。
宛名は確かに彼女だったが、差出人は書かれておらず、少々気味が悪かった。
内容に関しても身に覚えがないため、わけがわからない。
せっかく睡眠を取って休んだというのに、はすっかり夕食をとる気が失せてしまった。
結局、この日は手短に入浴を済ませて軟膏を塗り直し、大広間には行かないことにした。
まだ少し痛む患部に包帯を巻き終えたは、スネイプからもらったスコーンを食べながら今日一日に起こった多過ぎる出来事を思い出して溜息をつく。
しかし、口の中に広がる控えめな甘さとスネイプの目を細める仕草が重なり、少しだけ気持ちが軽くなった。
そして、放課後に教わったことの復習をしたら早めに休むことを決め、それに取り掛かった。



翌朝、大広間に朝食を取りに行くと、彼女の姿を見つけたパンジーが駆け寄ってきた。


!何かあったの?」


どうやら、昨夜の夕食で彼女を見かけなかったために、心配しているようだ。
が何でもないことを伝えると、パンジーは安心したように表情が柔らかくなり、自寮のテーブルへと戻っていった。
なんだか大袈裟じゃないかな、と違和感を感じつつ、も朝食を食べることを再開した。

始業時間もだんだん迫り、教員の席も半分以上空になってきた頃。
も寮に戻って支度をしようと席を立った。
手首に包帯というのは自分ではどうも上手く巻けず、授業に行く前に一度直しておきたいと考えていた。
こんなことなら鞄は置いてくれば良かったと、少しばかり後悔した。
それにしても、先程から大広間の扉の向こうが騒がしい。
テーブルに残っているグリフィンドールの生徒たちも、そちらの方の様子をちらちらと伺っている。


!いるんでしょう!」


驚いた。
その騒ぎの中心から、自分の名前が呼ばれたのだ。
できることなら、何が起こっているのか把握できていない騒ぎに巻き込まれるのは避けたい。
だが、この現場に居合わせ、かつ名指しされてしまってはもうこっそり帰ることも不可能だろう。
何しろ大広間から出るにはそこの扉しかないのだから。
は仕方なく呼ばれた方へ向かっていった。


「お前らいい加減にしろ!」


そこに辿りつくと、見慣れたプラチナブロンドの彼が声を荒らげていた。
見れば、彼はスリザリンの女子生徒に囲まれているではないか。
しかも、皆、表情は険しい。


「マルフォイ……?」

「おまえ…!身を守れと書いただろう!」

「え……あなただったの!?」

「ちょっと!何コソコソやってんのよ!」


の存在に気がついた女子生徒が、二人の間に割って入り話を遮った。
この状況から、怒りの矛先はに向けられているらしい。


「こっちに来なさい!」

「痛っ……」

「あら、怪我してるの?」


女子生徒は無理やりの手首を引っ張りドラコの前に来させると、掴んだ手首に力を入れた。
そしてわざとらしく笑うとそう言ったのだ。
痛みのせいで、無理に振り解くこともできず、は女子生徒を睨んだ。


「わたしに何の用?」

「そんなこともわからないの?毎週毎週、スリザリン寮の周りをうろつかないでくれる!?」

「……」

「あんたのそのネクタイの色が目障りなの」


またそれか、と思い後ろを振り返る。
ドラコは「おまえやパンジーに言われたことを言っても、こいつらには通じなかったんだ」と、小さく漏らした。
は痛みを顔には出さず、溜息をついた。


「スネイプ先生やドラコに媚売るのも許さないんだから!」


目眩がしそうだった。
感情的な女子生徒を複数相手にできるほど、はしたたかではない。
しかも、相手はスリザリンだ。
並大抵の狡猾さでは役に立たない。


「あんたたち!を離しなさい!」

「はあ!?スリザリンのくせにこいつの肩を持つわけ!?」


そこへ、人混みを割って来たパンジー。
これで余計に話が拗れそうだ。
事態の収束からはますます遠ざかった。
手首への負担が増し、も表情を保つのが難しくなってきた。
これでは包帯を巻き直すどころではない。


「一体、何の騒ぎだ」


その場にいた生徒の表情が強ばる。
喧騒に埋もれて音も無く現れたスネイプの低い声に、自分の置かれた状況も忘れては胸が熱くなるのを感じた。


「スネイプ先生!どうしてグリフィンドールの生徒を贔屓するんですか!」


彼は、理不尽なことを言う女子生徒から、彼女の手、そしての手首に視線を移すと、大きく舌打ちをした。


「馬鹿げたことで騒ぐな。お前たちには失望した。この際だから言わせてもらうが、学業においてグリフィンドールの生徒に劣るなど恥ずべきことだ。その頭脳ではそれすら理解できないのかね」


女子生徒たちの表情が凍る。
周りで見ていた生徒たちなどは、スネイプの冷ややかな姿を目の当たりにし、肌に粟を生じ、一目散にその場を離れた。


「おまえたちも根回しするなら詰めに気をつけろ」

「……」


少々、呆れ気味にドラコとパンジーに言うと、彼はの手首を掴んで女子生徒から離し、乱れた包帯を杖で解いて患部を見た。
の頬は紅潮し鼓動がうるさかったが、ドラコとパンジーは不甲斐なさに項垂れ、女子生徒たちはそれどころではなく、口々に謝罪のことばをスネイプに言うと寮に逃げ帰った。


「右足の状態はどうだ」

「あ、えっと…もう痛みはありません」

「そうか、こっちはまだ赤いな。1限目の授業は?」

「薬草学ですが……」

「スプラウト先生にはわたしから遅れると伝えておく。薬を出すからついてきなさい」


それだけ言うとの手首を下ろし、彼はその場から自室へと向かった。
は、彼の後ろ姿とパンジー達を交互に見る。


「ほら、置いてかれるよ?」

「パンジー、助けにきてくれてありがとう……。マルフォイも……」


しっし、と手を振って早く行くように促すパンジーに照れたように笑うと、は少し先を歩くスネイプを追いかけた。
ドラコはと視線を合わせないためか、目を泳がせている。


「やる時はやるのね、ドラコ」

「……」

「まあ、ライバルは手強いと思うけど?」

「なに言ってるんだ…!」

すっかり人気のなくなった廊下で、腕を組みにやにやと笑うパンジーにからかわれるドラコだった。



地下までの道すがら、会話は何もなかった。
は自分がスネイプにどう思われているのかを、今回のことで気にしざるを得なくなってしまった。
足音の響く石段を下りると、やがて見慣れた彼の部屋の扉が現れた。
無言のまま二人は部屋に入り、彼は奥へ薬と新しい包帯を取りにいった。
は、予期せぬこととはいえ、このような騒ぎになってしまって塞ぎ込んでいた。
もし彼が自身のことを好ましくないと…グリフィンドールの迷惑な生徒だと思っていたら…。
スリザリンの女子生徒に言い放った彼のことばが胸につかえているのだ。
ひっくり返せば、それは「グリフィンドールのくせに」というニュアンスが含まれていないとも言い切れない。
は、何とかして混乱気味の自分を落ち着かせようと努めた。


「待たせた。足の痛みは引いているなら、包帯は今日限りで構わないだろう」

「はい」

「では、手首を見せてくれ」


がソファに座って袖を捲り、彼の前に手を差し出す。
スネイプは膝をついて身を屈め、先程よりも念入りにそこを調べると、用意した小瓶の中から適する物を選び、彼女の手首に塗っていった。
薬は昨日の軟膏と違い、今回は半透明のゲル状のものだった。
その作用で患部はひんやりと冷たさを感じるが、スネイプに触れられている為か、不安な気持ちに反しての体温は上昇していた。
前回と同様に手際よく包帯を巻き治療を終えると、彼は丁寧にの腕を下ろした。
はそれを名残惜しく感じ、思わず彼の方を見る。
視線を感じたスネイプは、彼女の表情に顔色を変えはしないものの狼狽えた。
彼女は教師相手に、なんと熱っぽい表情をしているのだろうか。
逸らすに逸らせない視線を合わせたまま沈黙が続く。


「……先生」


先に口を開いたのはだった。
視線はそのままである。


「わたしは……その、」

「きみの行為を迷惑などと感じてはおらん。グリフィンドールの生徒だからといって拒絶するつもりもない。先のことばできみを不安にさせてしまったなら申し訳ない」


は驚いて目を丸くした。
それと同時に彼の言ったことに安堵した。
これからも、今までと同様に質問に来てもいいのだと、うれしくなった。


「……先生、ありがとうございます」

「学問にも、誰かを大切に想うことにも、身分や所属は関係ない」

「はい……ええ!?」

「驚くことなどなかろう。、きみとパーキンソンだってそうなのではないか」


息ができなくなるかと思った。
一瞬、自分の気持ちが本人にバレていたのかと思ったのだ。
しかし、そうではなく、彼はとパンジーの友情について話していたようだ。


「そうですね……。私はパンジーのことを大切に想っています。それはきっと彼女も同じです。……全然、臆することなんてありませんでした」


は、スネイプの言ったことで、彼に対する自分の気持ちが許容されたような気がして、少しだけ自信をつけることができた。
寮は違っても、魔法薬学を通じて僅かでも距離を縮められたらしあわせだと思う。
彼女がふわりと微笑むと、スネイプも僅かに目尻を下げた。
いつものように笑うに、彼も内心ほっと胸をなで下ろす。
自分を見る眼差しや態度で、彼女の好意に気づいていないわけではなかった。
それが、単なる尊敬や憧れなのか、それとも女性が男性を想うそれなのかの判断はつかなかったが、彼女が自分を慕っていることは彼も理解できた。
当然、自分の立場や生い立ちを考えて、それには気づかないふりをして、あくまでも教師としての態度を取っている。
しかし、それでも一過性のものではないの真剣な気持ちや、魔法薬学への誠意がいじらしく感じられ、つい庇護したくなってしまうのである。
彼女の様子が不審な時は、開心術をしてでも知りたかったし、何かに傷ついている時にはこの腕の中で甘え、頼ってほしいとまで考えていた。
恐らく、彼女もスネイプが人知れずこのような葛藤と戦っているとは思いもしないだろう。
それなのに、あのような切なく愛らしい表情をされては、自分を律するのに多大なエネルギーを要するのだ。
思わず口走ってしまったことばに、短時間で別のぴたりと当てはまる事例を探すのは大変だった。

そして、の穏やかになった気持ちとは裏腹に、スネイプには一抹の心配事があった。
スリザリンの女子生徒と同様に、もちろん男子学生も彼女を寮の近くで見かけている。
最近は生徒がいる時を避けていても、当然目にする頻度は他のグリフィンドール生よりも高い。
そんなある日、スネイプは自寮の男子生徒の会話を耳にしてしまった。
それは、彼女に加虐心をそそられる、というものだった。
確かに、日本人のは同級生よりも童顔で、特に魔法薬学では優秀な成績を修めているのに、授業中の様子ではどこか抜けていて、きっちりしていそうで何と無く隙がある。
スネイプにとっては、「かわいい」とか「美人」とか「しっかり者」といったことを言われている方が幾分、好ましく都合がいい。
彼は、この話題に自分の寮生ながら頭を抱えざるを得なかった。
とにかく、自分の目の届いていない時、特にスリザリン生しかいないような寮の近くにいる時は、周囲を警戒してほしいと思っている。
この場でそれを彼女に伝えるのはどうかと悩んだが、今日の女子生徒たちの暴走ともいえる行為の一件もある。
スネイプはにこれをやんわりと伝えようと決めた。


、私の自室に質問に来るのは一向に構わない。しかし、きみは稀に注意力が足りない時がある。思い当たる節はないか」


突然の問いかけに、は首をかしげて考え込む。
そのような無防備な姿が、異性の注目を集めるというのに、どうも彼女はわかっていないらしい。
スネイプは眉間に皺を寄せて盛大に溜息をついた。


「あ……すみません!えーっと……」

「質問を変える。、何かに夢中になっていると周りが見えなくなることはないか」

「……」

「身に覚えがあるだろう」

「はい……」


ここで流石に、先生のことになると周りが見えなくなります、とは言えなかったが、は自分の醜態がスネイプに筒抜けで赤面した。
スネイプは、恥ずかしさのあまりそわそわと落ち着きのなくなったをこのままソファに押し倒したい衝動を抑え、真剣な面持ちでことばを続けた。


「今回は相手が女子生徒だったからよかったが、男子生徒ではあの程度では済まない。わかるかね、力では敵わぬのだ」


少々、困惑気味だが、は素直にこくりと頷いた。


「故に、ここに来るまでにも周りに注意しながら来てほしい。また、身の回りで不審なことが起こったり、不安なことがあってもわたしに伝えてくれ。できる限りのことはする」

「え……!はい、わかりました……」


本当に心配そうに言うスネイプに迫られ、は不謹慎ながらも胸の高鳴りを抑えられなかった。
勉強のことだけではなく、そんなことまで言われると、益々気持ちが膨らんでしまう。
従順に返事をするに気を良くしたスネイプは、普段は見られないような柔らかい表情で彼女の髪をそっと撫でた。


「わかったなら話は以上だ。今から校庭に向かえば、あまり遅刻しないで済むだろう」

「あっ!はい、その、いろいろ……ありがとうございました、またよろしくお願いします!」


スネイプの大きな掌の感覚にぽーっとしていると、突如、現実に引き戻されたは小さく飛び上がった。
そして、覚束無い足取りで鞄を抱えると、どたばたと慌ただしく部屋を後にした。
今、あの姿こそ周りが見えていないような気がしてならないスネイプは、彼女の身を案じたが、まだ朝も早いし授業中なので、それは杞憂で終わるだろう。
ああいった反応はできる限り自分以外の目に止まらないようにしておきたいものだがどうしたものかと、まだ彼女の体温が残るソファに身を沈めた。


「それにしても、自覚はないのだろうが……わたしに対しても無防備すぎるとは思わないのか」


自嘲の笑いを漏らす彼。
これからの質問時は、理性を保つのに今まで以上に苦労しそうだ。