s*m=sheep;


fragrance of you

ハニーデュークスで貰った試供品の香水。
それはお菓子の香りがするものだった。
わたしのははちみつの香り。
リリーにお願いして、チョコの香りと交換してもらった。



今日は休日ということもあり、談話室は些か賑やかだった。
わたしは読書がしたくて、静かな場所を求めて校内を散策することにした。
いつもは図書室や適当な空き教室に通っていたが、窓の外を見ると綺麗な青空が広がっていたので、今日はどこか景色のいいところにでも行こうと考えた。
ぶらぶらと真っ直ぐな廊下を歩いていると突き当たりが見えたので、行き止まりかと思い引き返そうかと思ったが、よく見るとそこは教室になっていた。
今まで廊下の突き当たりに部屋があることに気付かなかったので、試しに覗いて見ることにした。
ドアノブに手を掛けて開けてみると、中はこじんまりとしていたが、たくさんの大きな窓から日が差し込んでいて部屋全体が光っているようだった。
何のための教室なのかはわからなかったが、窓際に数人掛けのソファを見つけたので、わたしはそこで読書に勤しむことにした。
たまには城内の散策もわるくないな、と思いながら背もたれに寄りかかる。
ここには黒板もないし、一クラス分の机もない。
いろいろな種類の椅子が雑多に置いてあるだけなので、もしかしたら教室ではなくある種の物置なのかもしれない。
それでも埃っぽいわけでもなく、居心地がわるいわけでもないので、晴れた日はここで外を眺めながらのんびりするのも、心が休まっていいと思った。
何しろ、寮の談話室では四六時中騒ぎが絶えないのだ。
中心には必ず悪戯仕掛け人の彼らがいる。
その光景を思い出し、無意識にポケットの中のハンカチを握り締めた。
そして、それを取り出し目の前で広げる。
折りたたまれたそれから甘い香りが開放されて、鼻腔をくすぐる。
それと同時に胸がつかえて言い様のないかなしみでいっぱいになった。
すっと息を吸い込むと、すぐに溜息に変わる。
わたしの意気地無し。
いつも遠くから見つめているだけ。
彼の周りはなんだかいつも輝いていて、世界が違う気がした。
この、良く晴れ渡った空に浮かんでいる雲のように、手を伸ばしても掴めない、掠りもしない。
そんな気がしていた。
たまに、図書室で会えば少なからずことばを交わしたりもした。
そんな些細な関係でも嬉しくて、でもそれ以上は距離を縮められなくて。
彼を近くに感じていたい一心で、チョコレートの香りを纏ってみたり……。
キリのない堂々巡りに嫌気が差し、もう一度盛大な溜息をつくと、読書そっちのけでソファにごろりと横になった。
このやわらかい日差しに、彼の微笑みが重なって涙が出そうだった。
鼻の奥がツンとしたと思ったら、彼の笑顔も釣られたように曇る。
ああ、せめて想像の中のあなたはいつでも笑顔でいてほしいのに。
本当に、意気地無し。
気持ちとは裏腹な明るい日差しが嫌になり、目を閉じる。
すると、何か暖かいものが頬に触れた。


「泣きそうな顔だけど……大丈夫かい?」


その声にびっくりして目を開けると、想像の中で悲しそうな表情をしていた彼、リーマスがそこにいた。
どうやら、先程の彼はわたしの想像などではなく、紛れもない本人だったようだ。


「あ、わたし……!」


緊張と恥ずかしさのあまり、慌てて飛び起きた。
頬に触れていたのは彼の手で、わたしが起き上がったせいで空中で静止している。
そのまま引っ込めてくれると思っていたが、彼はわたしに近づくとあろうことか横に座ってその手で肩を抱き寄せた。
何がどうなっているのかわからず、心臓が助けを求めるようにバクバクと鳴っている。
そんなわたしを気にも留めず、髪に息がかかる程の距離で彼は話を続けた。


「最近、からおいしそうな香りがするのは僕の気のせい?」

「……!」


なんで知っているんだろう。
香水を使い始めてからも、近くで話したりしてないのに。
というよりも、彼の近くにいられないからって、チョコレートの香りで凌いでいたなんて口が裂けても言えやしない。


「え……と、ハンカチにちょっと……香水を。あの、リーマス……?ちか」

「ふーん。でも僕、チョコはすきだけど、もっとすきな匂いがあるんだよね」

「……」


さりげなく抵抗を妨げられるわ、ダメ出しを喰らっている気分になるわで、どうしていいかわからない。
しかも、すぐ横にいるのに表情が見えないから、声だけで彼が何を考えているのか見当がつかない。
こんな時いつもリーマスのそばにいる彼らだったら、阿吽の呼吸で会話できるんだろうな、なんて発煙しそうな頭で考えていた。
そんな場違いなことを考えていたら、頭の上で彼が呪文を唱える声が聞こえた。
え?今、「スコージファイ」って言った?
リーマスの前で汚物でもまとわりつけていたのかと思い、全身から血の気が引いた。
本格的に何も考えられなくなり、身体は硬直する。


「うん、やっぱりこれが一番だ」


最悪だ、とぼんやり思っていたら、彼が何か呟いた。
横で彼が動いている気配を感じたが、自らアクションをとる勇気はなかった。


「急にびっくりさせてごめんね。どうしてもに伝えたかったんだ」


ああ、神様。
この世の終わりとはこういうことを言うんですね。
何を言われるのだろうか、心構えもできずにじっとしていたら、突然、身体に圧力を感じた。


「僕、の香りが一番すきなんだ」


気づけばわたしはリーマスに後ろから抱きしめられていた。
彼の鳶色の髪が項を掠めてくすぐったい。
それを実感した途端、このありえない状況に体が熱くなった。


「ちょ、リーマス!?」

「なんだい?ああ、落ち着く」

「変な悪戯はやめて!」

「僕はずっとこうしたいと思ってたけど」


有無を言わせない笑顔とわたしが欲していた彼から漂う甘い香りに、今度こそ胸がつかえて何も言い返せない。
もう香水は必要なかった。