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「パパ、ママ、あのね……わたし、研究者になりたい」

彼女がそう言ったのは、O.W.L試験の結果通知が届いて数日経った日の夕食後だった。
そして、両親にそう言ったのは、自分なりに考えた結果だった。
が人数分の緑茶を入れて、に向き直る。


「成績は良かったし、目指してもいいんじゃない」

「そうだね。でも研究者といってもいろいろだからな。一応パパもその部類だし」


ふたりに快い返事をもらい、は表情が柔らかくなる。
いくら家族だからといっても、進路相談を持ちかける事は少しばかり緊張するのだ。
は小さく息を吐き、ここ数日考え抜いた自分なりの夢を、しっかりとした口ぶりで話し始めた。


「将来的にはね、魔法省の魔法生物規制管理部に属してる研究室に入りたいの。それまでは、魔法薬……とくに脱狼薬と新薬の研究をしたい」


思わぬのはっきりとしたビジョンに、も、少し驚いたようだ。
しかし、今はまだ、黙ってわが子の言葉に耳を傾けていた。


「2年生の時、お世話になったルーピン先生……先生みたいな、わたしにはわからないような辛い思いをしてる人の役に立ちたい。偉そうなこと言えるほど人生経験積んでない、甘ったれだけど……でも、何か新しいことを発見して魔法界に希望を見いだしたいって思ってる」


彼女が、元闇の魔術に対する防衛術の教員の名前を口にしたとき、ふたりは確かに目を丸くした。
だが、は話すことにに必死で両親の変化には気づいていない。
そして、自分を落ち着かせてちらりと視線を前に向けると、ふたりともにっこりとほほ笑んでいた。


「ママたちは、いつでもを応援してる。そこまで考えてあるんだったら、自分のやりたいことをしなさい」

「パパも、ママと同じだ。応援するよ」


そう言ったふたりにつられ、も笑顔になった。
しかし、すぐにその笑顔に影が差す。
そして、目は泳いでいて、何か言いたそうにしていた。


「思ってること、何でも言ってごらん」


にそう促され、はおずおずと再び話し始めた。


「今年から…N.E.W.Tの科目をとるでしょ。成績は優だったけど……魔法薬学についていく自信がなくて」


夢を語っておいてこんなんじゃだめだよね、と彼女は自嘲気味にひきつった笑いを見せた。
両親が見るところによると、だからといっては他に目指したい職種も見つからないので悩んでいるようだった。


「魔法薬学か……パパが教えてもいいけど、は普段、ホグワーツだしなあ」

「それならママが校長先生に手紙を書くわ」


が腕を組んで考えていると、横でがはっきりとそう口にした。
はそんな母親を真意が掴めない、といった表情で見つめたが、当の本人は自信満々の様子だ。
いいでしょう?と自分を見る彼女に、と同じような顔をしていたが、数秒後、合点がいったように笑顔で頷いた。


「そうだな、ダンブルドア校長にふくろう便だ!」

「決まりね」


だけが置いてかれたように、ぽかんとしたまま両親を見つめる。
一体、何が起こったのだろうか。
そもそも、自分の勉強になぜ校長先生が?
確かに、学校の最高指導者ではあるけれど。

その夜、は文面を考え、翌朝にはダンブルドアに向けてふくろうを飛び立たせていた。
には、詳しいことは返事が来てから、と伝えて。

一方、は、自分の両親ながら何を考えているのかさっぱり想像できなかった。
しかも、校長にふくろう便なんて、話を大きくし過ぎているのではないかと気が気でなく、その夜は中々眠れなかった。

あれから一週間ほど経ち、夏休みも真ん中より後半に差し掛かった頃、一羽のふくろうが勝手口の網戸の前に腰を降ろした。
ちょうどキッチンで飲み物を飲んでいたは、急いでそのふくろうを家に入れた。
片足を上げる彼から、封筒を括りつけた紐を解くと、嘴を忙しなくカチカチと鳴らす。
きっと、夏の長旅で喉が渇いているのだろう。
はテーブルにそっと封筒を置くと、お皿に水を入れて彼の前に差し出した。


「暑い中、ありがとね」


おいしそうに喉を潤す彼を撫でていると、キッチンにが戻ってきた。


「あら、返事が届いたのね!」


その声に、夏季休暇中のも、書斎からばたばたとキッチンにやってくる。
は、相変わらずうちの家族は騒がしいな、なんて考えながら、ふくろうを元来た勝手口から外へと送り出した。


「おお、さすがは偉大な魔法使い。わかってらっしゃる」

「よかったわ!、明日、煙突飛行で校長先生にお会いするのよ」


とんとん拍子で話が進み、なんだかよくわからないうちにダンブルドアと面会することになった
は、特別にネットワークを繋いでくださるって、なんてはしゃいでいる。
いきなり明日、と言われてさすがのは質問せずにはいられなかった。


「ねえ、どういうこと?だって魔法薬学の勉強だよ……?」


訝しげな表情で、きらきらした笑顔のふたりを見る。
そのままの笑顔で、が先に口を開いた。


「そうだよ。だから校長先生に、向こうに行っている間、に魔法薬学の補習を個別にお願いできないかって頼んだんだ」

「……えええ!?個別の補習!?」

「そう。ママは別途補習代くらい払ってもいいと思ってたんだけど……この様子だと受け取らないようだし、やっぱりダンブルドア先生はダンブルドア先生ね」


これはたまげた。
はじめは何をしようとしているのか皆目見当のつかないだったが、自分のために両親がダンブルドアに直談判してくれたのがうれしくて、遂には彼女も笑顔になっていた。
そんなわが子の笑顔をみて、ふたりも顔を見合わせてにっこりと笑った。

その日の夕食は、もちろんその話題でもちきりだ。
何しろ、明日の朝一番でホグワーツに向かうことになったからだ。
もちろん、煙突飛行なので、時間がかかるわけではないが。


「パパもママも、なんで最初に言ってくれないのさあ」


む、と口をとがらせてが言うと、がごめんごめん、と手をひらひらさせながら答えた。


「だって、もし言ってから、それが実現しなかったら残念でしょ?保険よ」


なるほど、とは口いっぱいにおかずをほうばりながら、の答えに頷いた。
そして、それをすっかり飲み込むと、再び口を開いた。


「それにしても、校長先生の個別指導ってすごいことだよね」


何気なくそう呟いて、ひとりでうんうん、と納得する。
それを聞いたが、持っていた湯呑を置いて言った。


「何言ってんだ、

「え?」


指摘をされて、は自家栽培の取れたてトマトを箸に挟みながら動きを止める。
の言ったことに付け加えるように、も口を挟んだ。


「そうよー。ただでさえ多忙な校長先生が個別指導なんて、ねえ」

「え?え?……じゃあ、あのふくろう便は?個別指導のお願いって?」


どうやら、の脳内は昼間の時と同様に疑問でいっぱいになった。
そして、その疑問を解決したのは、思いもよらないの恐ろしい一言だった。


「魔法薬学なんだから、スネイプ先生に決まってるだろー」


あっけらかんと言い放つは、そんなもの言わなくたってわかるだろうが、なんて笑っている。
支える力の抜けたの箸からトマトが落下し、テーブルの上で少しばかり残念な見た目になった。


「……うええええええ!?は!?スネイプ先生!?あの陰険根暗贔屓教師が!?わたしの個別指導を!?」

「何言ってるの。校長先生のお墨付きの先生なんだから、も安心して勉強に打ち込めるでしょうね」


目の前のふたりは、いい年して「ねー」なんて言い合っている。
子どもの気持ちも知らないで。
たった今まで、おこがましくもてっきりダンブルドア直伝に魔法薬学を教わるのだと思い込んでいたには、度が過ぎる真実だった。
補習の度に減点されたらと思うと先が思いやられて、胃がきゅっと縮みあがった。
魔法薬学のエキスパートだということは重々承知しているが、よりによって授業でしか接点のない、しかもスリザリンの寮監との個別指導なんて絶望的な新学期だ。
しかし、背に腹は代えられないこともまた事実であり、後々苦労するよりも、今がんばることの方が賢明なのは明らかだ。
は、これ以上は食べ物が喉を通らない、とでも言いたげな顔でダイニングからよろよろと去って行った。


「いやー、セブルスも酷い言われようだなあ」

「あの子、本当に小さい頃のこと覚えてないのね」

「ゴホン……『せぶにいーだっこー』だっけ?」

「……ぷ」


のいなくなったダイニングでは、そんな思い出話に花を咲かせていた。