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9

フローリシュ・アンド・ブロッツ書店も人の出入りが激しかった。
特に、ホグワーツの指定教科書の棚にはひっきりなしに客がいて、はそこまで行くことすらできない。


「そんなところで何をぼさっとしている」

「わ、先生!だってこんなに混んでいたら進めませんよ」


眉尻を下げてお手上げだと訴えるに、スネイプは小さく鼻を鳴らして言い返した。


「ならば先に奥に行って支払いの用意をしておけ」


そして、の返事も聞かずに人混みに紛れ、棚の向こうに見えなくなった。
言葉の少ない彼に聞きそびれた質問を飲み込んで、は素直にカウンターに向かった。
その横で立ち止まり、荷物を持ち直して鞄から財布を取りだし、金貨の数を確かめていると、手元が急に暗くなった。


「教科書だ」


がその声に釣られて顔を上げると、6年生用の教科書を腕いっぱいに抱えたスネイプが立っていた。


「早!……じゃなくて、ありがとうございます」


が慌てて本を受け取ろうとすると、スネイプは後ろに一歩下がった。


「これはわたしが持っているから、はさっさと会計を済ませろ」

「あ、はい」


この人混みが嫌なのか、眉間の皺を深くしながら先を促した。
は店主に声を掛け、リストを見せる。
そして、金貨を渡しながらふと思った。
わかりきったことだが、ここに教科書を買いに来ている学生は、ほぼ全員がホグワーツの生徒である。
すなわちスネイプのことを知っているわけで。
それなら納得がいく。
彼がすぐに教科書を手にして自分のところへやって来たことが。
誰だって好き好んで、あの陰険な教師に睨まれようとはしないだろう。
きっと、こぞって場所を譲ったに違いない。
お釣りを受け取ったは、そんなことを考えながらスネイプの方へ振り返った。


「お会計、済みました。袋に入れましょう」

「……何をにやにやしている」

「何でもないですよー」


薬品やガラス器具が入った袋を腕に下げ、かつ教科書を抱えていたスネイプだったが、よろけることも、嫌な顔もせず、の動きに従い、荷物の少ない彼女のうしろを歩いていった。
そして、ふたりは長いテーブルの隅に教科書を置き、確認しながら袋に詰めていった。


「全部、揃いました」

「このまま帰って大丈夫か」

「はい、オッケーです!」


ほしいものが全部揃い、はにっこりしながら返事をした。
それを見て、スネイプも満足そうに微笑んだ。
ふたりはやっと荷物の整理を済ませ、尚もざわつく店内から姿くらましするために袋を持ち上げようとした。


「スネイプ先生じゃないですか?」


その時、見事なタイミングで声を掛けられた。
そして本日2度目のその問いに、彼は内心大きな溜息をついていた。


「……ドラコ」

「さっきパーキンソンに会ったんです。先生にお会いしたって言ってて」

「そうか」


スネイプは、平静を保って、当然、顔色ひとつ変えなかったが、密かにの心配をしていた。
ここにドラコがいるということは、家族で来ている可能性が高い。
すなわち、彼の父親も近くにいるということだ。
は純血だが、彼女の両親も含めて純血や混血、マグル出身など関係なく付き合っている。
ややこしいことになる前に立ち去るのが賢明だが、相手がドラコとなるとそうもいかなかった。


「もし良かったらこれから僕の家で夕食でもご一緒しませんか?きっと父上も喜びます」

「あー…、せっかくの招待だが、生憎今日は予定が詰まっていてね」

「そうですか……。でも父上に会うだけなら……」


なかなか引かないドラコに少々苛立ちを見せるスネイプだったが、人混みの先に父親を探す彼が気付くはずもなかった。
一方、は、突然雰囲気の変わったスネイプの後姿を見て、おとなしく彼の影に隠れていることにした。
しかも、聞こえてきたやや気取った声は聞き覚えがあるもので、普段だったら礼儀正しく挨拶をして名乗るくらいのことはするなのだが、これは関わらない方がいいと直感で判断したのだった。
話が先に進まず、ドラコとのやり取りが堂々巡りになっていた時、カウンターから店員がやってきた。


「カタログを入れるのを忘れてしまいまして!最近、通販も始めたので先生も良かったらどうぞ。はい、お嬢さんも」


はそれにびくっとして、ほとほと困ったようにカタログを受け取った。
店員はというと、ふたりにカタログを渡すと、既に列ができ始めているカウンターへ慌てて戻っているところだった。
何はともあれ、これでスネイプの後ろにいたにドラコが気付いてしまったというわけだ。


「先生、今日はおひとりではなかったんですか……?」


店員がスネイプのすぐ後ろで「お嬢さん」と呼びかけたことに驚いたドラコは、をよく見ようとあからさまに視線を向けた。
そんなドラコに、は意を決したようにスネイプの後ろから姿を現した。


「こんにちは」


の感情を仕舞い込んだ表情に、スネイプは目を見開いた。
共に行動するようになってから(といってもまだ2日目だが。)ころころ変わる表情に慣れてしまい、このように冷めている彼女を見たことがなかったからである。
そして、ドラコも彼とは違う意味で驚いていた。


「……なんで先生が……?」


―おまえなんかと
おそらく、そう続くのだろう。
周囲の喧騒とは打って変わり、その場に気まずい空気が流れた。


「……すまないが今日は君のお父上のお言葉に甘える事はできかねる」

「……わかりました」


言葉とは裏腹に、納得していない表情でドラコはスネイプに一礼して踵を返した。
もちろん、への挨拶は一切なしで。
当然、にしてみれば気分の良いものではない。
それでも何も言わず、彼女は彼の後姿をじっと見据えていた。


「……帰るか」

「はい!」


暫しの沈黙の後、口を開いたスネイプへ返事をしたは、いつもの笑顔だった。
彼は新学期が少しばかり心配だったが、今は目の前のこと、の個人指導についてを考えることにした。
そして、付き添い姿くらましをするために彼女へ腕を差し出した。


「……先生」

「なんだ、早く掴まればいいだろう」

「教科書重くて持っていられません!」

「……」

「……」

「……生活していくのにそれくらい持てないでどうする」

「このまま姿くらまししたら重力に負けてしまいます!」


の訴えにより、仕方なくスネイプは彼女の教科書を抱え、かつ彼女のために右腕を差し出して姿くらましをするはめになった。
彼の溜息は暫く尽きそうもない。