4年生の復習を終えたは、椅子に寄りかかって大きく伸びをした。
その様子を見て、今まで黙っていたスネイプが彼女に声を掛けた。
「、母親からふくろう便が届いていた」
机に近寄り、持っていた手紙を手渡した。
封筒には見慣れたの整った字で自身の名前が記されていた。
はすぐに封を開けると、便箋を取り出して内容を目で追った。
そして、彼女の表情はみるみるうちに明るくなっていき、スネイプはそれを、また何か面倒なことでもしでかすのではないかと不審そうに見つめていた。
「せんせい!」
「なんだ、嬉しさが表情に滲み出てるぞ」
「え、いや、その……」
「はっきり言いなさい」
「はひっ」
半ば呆れたようなスネイプの物言いに、は手紙の内容を要約して伝えた。
一言で言うと、母国での夏祭りに、気晴らしがてら遊びに来たらどうか、ということだった。
「たまにはよかろう。最近、勉強への努力が見られているしな」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
心底うれしそうに笑うに、スネイプも表情を緩めるが、そうしていられるのも今のうちだけだった。
「それで、その祭りというのはいつ開催されるんだ」
「えっと……、明後日みたいです。先生、何か予定が入っていますか?」
「何もないが、何故わたしの予定を聞く」
「だって、母が先生の浴衣も用意して待ってるって」
「……」
彼には浴衣が何を表すのかわからなかったが、自分も付いていくことが前提であることに言葉を失った。
てっきり、彼女のみの帰省かと思っていたのだが、どうやらそうとはいかないらしい。
そして、迂闊に自分が終日未定だということを口にしてしまったことを後悔した。
「先生も予定なくてよかったです。明後日が楽しみですねー」
鼻歌交じりに便箋を封筒に戻す彼女を見て、スネイプは小さく溜息をつく。
味気ない毎日よりは、たまにそういった祭り事に参加してみても悪くないと、こっそり自分を言い聞かせた。
そして、当日。
家に到着したふたりはの歓迎により、お茶を飲んで一休みしていた。
日が傾いて来ると、はふたりを別々の部屋に案内し、祭りに行く支度を始めた。
「勉強はどう?はかどってる?」
「うん、実験の練習もできて毎日楽しい」
「校長先生とスネイプ先生に感謝しなきゃね」
「そうだね。もちろんママとパパにも感謝してるよ」
浴衣に袖を通したに、は杖を振り彼女の帯を締める。
久しぶりの親子の会話に、ふたりは楽しそうにしていた。
「髪は自力でできるから、ママは先生のところに行って大丈夫だよ」
「ええ、ちゃんとお礼も言ってくるね」
そして、が出て行った部屋でひとりになったは、鏡台の前の椅子に浅く腰かけ、丁寧に髪を結い上げていく。
スネイプの浴衣姿が楽しみで、自分でもわくわくしているのがわかった。
それと同時に、幼い自分が彼の横を歩くのが、なんだか恥ずかしく感じ不安になる。
髪が結い終わると、おかしなところはないか、いろいろな角度から鏡を見て、とにかくそわそわと落ち着きがなかった。
その頃、スネイプはすっかり様になった浴衣姿でと話をしていた。
「大変な仕事、引き受けてくれて本当にありがとう」
「何てことはない」
「、あなたに面倒を見てもらってとっても喜んでたの」
「そうか、安心した」
「それにしても、良く似合ってること。の言う通りに、スリザリンカラーじゃなくて濃紺にして正解だったみたい」
「わざわざ用意してもらってすまない。初めて着たが、この和服……ゆかたというのは涼しいな」
他愛無いやり取りをしていると、部屋の扉が軽くノックされた。
が返事をすると、が入ってきて、スネイプの姿を見るや瞳を輝かせた。
「先生、とってもお似合いです!」
背が高く、黒髪の彼には濃紺の浴衣がよく映えていた。
漆黒のローブをはためかせている普段の姿とはまた違った魅力がある。
すごいすごいと絶賛するだったが、はっと我に返ると急に不安そうな表情での元に駆け寄った。
何やら小声で伺っているのだが、がそれに笑顔で答えると、は安心したようにはにかんだ。
スネイプはそのやりとりを不思議そうに見ていたが、彼もまた、いつもと違うの姿にしばし見とれていた。
彼女の浴衣は白地に藍色の染料と銀色の糸による模様が涼しさを添え、薄桜色の模様が儚げな華やかさを添えていた。
そして、結った髪により見える白い項は、年齢の割に彼女を大人っぽく見せた。
「では先生、日本の夏を感じてきてください。、気をつけてね」
「うん、いってきます!」
笑顔で見送られたふたりは、夕暮れの中、花火大会が行われる川へと向かった。
巾着を持ってちょこちょこと歩くの横を、普段の大股が嘘のようにスネイプがゆっくりと歩いている。
「先程、母君から伺ったのだが、この履物は足を痛めやすいそうだな」
「あ、はい。擦れて皮が剥けてしまったり、血が出ることもしばしば……」
「今日は人も多いようだし、無理はするな。もし痛みを感じたらすぐに言いなさい。わたしが魔法で治す」
「先生……ありがとうございます」
外出先での紳士的なスネイプに、は少しばかり照れくさくなった。
何しろ、日本にスネイプといること自体、非日常過ぎて不思議な感じがした。
川に近付くに連れて人の数や露店の数が増え、賑やかになってくる。
今時、濃い色の浴衣を着る女性が多い中、珍しい色合いの浴衣を着ている。
黒髪ではあるものの、長身の英国人であるスネイプ。
そんなふたりは知らず知らずのうちに行き交う人々の目を惹いていた。
「先生、まだ始まるまで時間もあるし、せっかくなので何か冷たいものでも食べますか?」
「そうだな……のおすすめは何だ」
「うーん……やっぱりかき氷ですかね。あとラムネ!これは飲み物ですけど」
そんな話をしていると、川の側の広場に行きついた。
そこにもいろいろな物を売っている露店がたくさん並んでいた。
子ども連れの家族も多く、浴衣や甚平を着た小さな子どもたちが遊具の周りではしゃいでいる。
がどこで買おうか辺りを見回して考えていると、ふと目に入った光景が合った。
『全くどこ見て歩いてんだよ』
『せっかくの浴衣が汚れたら困るしー』
『大丈夫か?』
自分のいる場所からさほど離れていなかったこともあり、途切れ途切れに会話も聞こえてきた。
ふたりの男女がそこから不機嫌そうに離れると、大きな木の前に今にも泣きそうな幼い兄弟の姿が見えた。
はその兄弟を見て見ぬふりできず、彼らの元に駆け寄った。
『どうしたの?迷子?……ありゃ』
がしゃがみ、俯いた兄弟に視線を合わせる。
その時、地面に散らばった氷の欠片とカップに気付き、事態を把握した。
『弟が人にぶつかってかき氷落としちゃったんだ……』
『さっきの人たちだね』
『うん。でもおれのをあげるから平気』
『にいちゃん……』
我慢することを決めた年上の兄が、にそう言った。
しかし、言葉とは裏腹に瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。
手を繋いでる弟の方はべそをかいている。
『ちょっと待ってて』
は一旦、立ち上がると後ろを振り返ってスネイプを見上げた。
「先生……」
「おまえの考えていることの予想は付く」
「学校じゃないからわたしは何もできません。先生、お願いします。この子たちは悪くないんです」
「半人前の割に世話好きなやつだ」
溜息を付くスネイプが拒否の返事をしないことに、の表情は綻んだ。
「ありがとうございます!」
そして、再びしゃがみ込むと、にっこりと笑って兄弟に両手を出した。
『ふたりとも、おねえちゃんが手を離すまで目を閉じていて』
一瞬、困惑したような様子だったが、素直に彼女の言葉に従った。
そして、兄弟の瞼に手を当てたが顔を上げて目で合図をすると、スネイプは袂に入れておいた杖を取り出し地面に向かって小さく振り、落としてしまったかき氷をもとの状態に戻して手中に収めた。
それを確認した彼女が手を離すと、兄弟は目を瞬かせる。
「先生、上から見下ろしてたら怖がっちゃいますよ!」
小声で注意され、スネイプはの横に腰を降ろし、無言でかき氷を弟に差し出した。
彼の妙な威圧感と、落ちてしまったはずのかき氷が元通りになっているのを見て、兄弟は口を開けて驚いていた。
今度は兄がかき氷を落としそうになっていたので慌ててが手を添えた。
『おねえちゃんたち、すげー!魔法みたい!』
『あ、ありがとうございます!ばか、おまえもちゃんとお礼言え!』
『いて!おねえちゃん、おじさん、ありがとうございます!』
『いいえ、気をつけて食べるんだよ』
『はい!!』
そして、ふたりはうれしそうに手を繋いで戻っていった。
はほっとしたようにふたりを見送った。
「あのふたり、ありがとうございますって言っていました。あ、あと魔法みたいって」
「そうか」
満足そうに小さく笑う彼女を見て、スネイプも目を細めた。
「今のがかき氷っていうのです。私たちも買いましょうか」
「ああ」
ふたりは、手近な店を選び、かき氷の種類はが散々悩んで選んだ。
何しろ様々な種類があるので、あれでもないこれでもない、と中々決まらなかった。
『ハイ、宇治金時といちごみるく!』
『あ、すみません!』
やっと注文を済ませ、お金を支払ってかき氷を受け取った。
その時、スネイプが思い出したように言った。
「、らむねというのはいいのか」
「あ、ラムネ……うー」
彼にそう言われたは、踵を返して氷水の中に浮かぶラムネの瓶を見つめた。
この甘いかき氷を食べたら絶対に飲みたくなると思ったが、持つのも大変だからとまた悶々と悩んでいた。
『おねえちゃん、素敵な恋人連れてきてるからこれも持ってきなー。おまけだよ』
『え!?そんな、えっと……ありがとうございます!』
その様子を見ていた店主が、気前よくに瓶を2本手渡した。
いろいろと勘違いされているが、せっかくなのでありがたくもらうことにした。
それを見ていたスネイプが巾着とかき氷を持つ彼女の変わりに瓶を受け取った。
「支払いは済んでいるのか」
「いや……先生がかっこいいからおまけでくれるって……」
「……」
何故か恥ずかしがっているや店主の発言に腑に落ちない様子のスネイプだったが、店主の好意に礼儀正しく頭を下げた。
『いいってこった!やさしい彼氏さんだねー』
『あはは……』
愛想笑いをしつつ満更でもないは、そそくさとその店を後にした。
「らむねはソーダに似ているな」
「そうですね」
「氷と抹茶とあんこが合うのには驚いた」
「気に入っていただけてよかったです。いちごみるくもどうですか?」
「では少しいただこう」
川辺の見えるベンチに空きを見つけ、ふたりはそこに座っていた。
は互いのかき氷を食べ比べてはっとする。
恋人同士なら「はい、あーん」が定番なんではないか、と。
そして、自分の頭を掠めたことにさらにはっとする。
横で「甘い……」と顔をしかめるスネイプを見て今一度冷静さを取り戻そうと努めた。
何しろ今日は祭りで気分が浮かれている。
そうに違いない。
そんな煩悩をかき消すかのように、突如、夜空に咲く光の花が目に飛び込んできた。
「先生!花火が始まりました!」
「ああ、日本の花火も美しいな」
弾ける閃光に人々の歓声も上がる。
色とりどりの光が絶え間なく夜空を彩った。
「ホグワーツでも、時々花火が上がりますよね」
「あれは主に双子の悪戯だ」
「そうでした」
夜の涼しい風がふたりの間を通り抜けた。